医の倫理

Part 1  扶氏医戒之略  

 内科学者フーへランドChrstoph Wilhelm Hufeland (1762―1836)は、ベルリン大学創設時に医学部長として活躍し、晩年に50年間の経験をもとに「医師の義務」の章を含む「医学便覧 Enchiridion Medicum(1836)」を著しました。

 その2年後、オランダ人ハーへマンは、この「医学便覧」をオランダ語に翻訳し(1838)、更に、幕末、緒方洪庵は、「医師の義務」を医師が守るべき戒め「扶氏医戒之略」として訳し、12箇条にまとめました(1857)。

 扶氏とは、フーへランドのことです。なお、「医学便覧 」は、杉田玄白の孫である蘭学者杉田成卿により翻訳され、「済生三方醫戒附刻」(1849)として出版されております。  

 この戒めは、150年以上経った現在でも、我々に医の倫理を教え続けています。

 

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扶氏医戒之略

緒方洪庵訳

一、 医の世に生活するは人の為のみ、をのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸(あんいつ)を思わず、名利を顧みず、唯おのれをすて、人を救はんことを希(ねが)ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解する外、他事あるものにあらず。
一、 病者にたいしては唯病者を視るべし。貴賤貧富を顧みることなかれ。長者一握の黄金を以て貪士雙(双)眼の感涙に比するに、其心に得るところ如何ぞや。深く之を思うべし。
一、 其術を行ふに当ては病者を以て正鵠(せいこう:的)とすべし。決して弓矢(道具)となすことなかれ。固執に僻せず(偏った考えに囚われず)、漫試を好まず(無闇にあれこれ試さず)、謹慎して(謙虚になって)、眇看(びょうかん)細密(詳しく見る)ならんことをおもふべし。
一、 学術を研精するの外、尚言行に意を用ひて病者に信任せられんことを求むべし。然りといえども、時様の服飾を用ひ、詭誕の奇説を唱えて、聞達(ぶんたつ:評判)を求むるは大いに恥じるところなり。
一、 毎日夜間に方(あたり)て更に昼間の病按を再考し、詳に筆記するを課定とすべし。積て一書を成せば、自己の為にも病者のためにも広大の裨益あり。
一、 病者を訪(と)ふは、疎漏の数診に足を労せんより、寧ろ一診に心を労して細密ならんことを要す。然れども自尊大にして屡々(しばしば)診察することを欲せざるは甚悪むべきなり。 
一、 不治の病者も仍(すなわち)其患苦を寛解し、其生命を保全せんことを求むるは、医の職務なり。棄て、省みざるは人道に反する。たとひ救うこと能はざるも、之を慰するは仁術なり。片時も其命を延べんことを思うべし。決して其不起を告ぐべからず。言語容姿みな意を用ひて、之を悟らしむることなかれ。 
一、 病者の費用少なからんことを思うべし。命を与ふとも、其命を繋ぐの資を奪はば、亦(また)何の益かあらん。貧民に於ては茲(ここ)に甚酌(しんしゃく)なくんばあらず。 
一、 世間に対しては衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも、斉民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし。周く欲情に通ぜざるべからず。殊に医は人の身命を依托し、赤裸を露呈し、最密の禁秘をも白し、最辱の懺悔をも状せざること能はざる所なり。常に篤実温厚を旨として、多言ならず、沈黙ならんことを主とすべし。博徒、酒客、好色、貪利の名なからんことは素より論を俟たず。 
一、 同業の人に対しては敬し、之を愛すべし。たとひしかること能はざるも、勉めて忍ばんことを要すべし。決して他医を議することなかれ。人の短をいふは、聖賢の堅く戒むる所なり。彼が過を挙げるは、小人の凶徳なり。人は唯一朝の過を議せられて、おのれの生涯の徳を損す。其徳失如何ぞや。各医自家の流有て、又自得の法あり。漫に之を論ずべからず。老医は敬重すべし。小輩は親愛すべし。人もし前医の得失を問うことあらば、勉めて之を得に帰すべく、其治法の当否は現症を認めざるに辞すべし。 
一、 治療の商議は会同少なからんことを要す。多きも三人に過ぐべからず。殊によく其人を択ぶべし。只管(ひたすら)病者の安全を意として、他事を顧みず、決して争議に及ぶことなかれ。
一、 病者曽て依托せる医を舎て、ひそかに他医に商(はかる)ることありとも、漫(みだ)りに其謀に与(あず)かるべからず。先其医に告げて、其説を聞くにあらざれば、従事することなかれ。然りといへども、実に其誤治なることを知て、之を外視するは亦医の任にあらず。殊に危険の病に在ては遅疑することなかれ。

 右件十二章は扶氏遺訓巻末に附する所の医戒の大要を抄訳せるなり。書して二三子に示し、亦以て自警と云爾(しかいう)

安政丁巳(1857)春正月  公裁誌(しるす)

 ※上記本文における読み方などを括弧内に記載しました。従って、括弧の記載は本来本文にはないものです。

 

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医の倫理

Part2 ヒポクラテスの誓い

 ヒポクラテスは、ギリシャのポリス社会が全盛期をむかえた時代に医術を修め、各地に名声を博した偉大な医師として知られています。今から、2000年以上前につくられたこの誓いは、今の時代にあっても、医の倫理を教え続けています。

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Hippocratic Oath
ヒポクラテスの誓い

 前460~375頃

 医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

 私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。

 結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。

 いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷のちがいを考慮しない。

 医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。

 この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。

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Part3 Medical Professionalism in the New Millennium

 2002年、医師の職業倫理に関する憲章が、Medical Professionalism in the New Millennium:新ミレニアムにおける医のプロフェッショナリズムとして、米国内科学会、欧州内科学会合同で発表されました(Medical professionalism in the new millennium: a physician charter. Ann Intern Med 2002;136:243-6.)。

 患者中心の医療、科学的根拠に基づいた医療の推進、社会における医療資源の公平な分配など医師が果たすべき原則・責務が記載されています。

 

医の倫理

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 どの時代においても医師のあるべき姿の本質は不変です。ひとたび医の扉を開いたならば、医の倫理をしっかり身につけ、世のため人のために尽くす覚悟が必要です。  

@2012 DEPARTMENT OF MEDICAL EDUCATION & RESEARCH
FACULTY OF MEDICINE SHIMANE UNIVERSITY